新潟アルビレックスBBのロスコ・アレン B2屈指のスコアラーが遂にB1の舞台に

投稿 2020年6月13日

2020年6月12日、B1リーグの新潟アルビレックスBBがロスコ・アレン選手の獲得を発表しました。


1993年5月5日生まれの27歳で、208cm、100kg。2018-19シーズンはB2(当時)の島根、2019-20シーズンはB2の群馬でプレーしていて、日本3年目にして初めてB1のコートに立つことになります。

この選手の経歴を調べてみました。


ハンガリーで生まれアメリカに移住


ハンガリーのブダペストで生まれました。アメリカ人のお父さんとは英語で話していたそうで、ハンガリー語と英語のバイリンガルとして育ちます。

お父さんも身長2mを超えていて、高校時代はバスケと走り高跳びの選手として活躍して大学から奨学金オファーを受けたアスリートだったそう。でも大学には行かずに就職してミラノ、パリ、アテネと転々、アテネで出会ったハンガリー人(ロスコのお母さん)と結婚します。

その後、オイル会社に就職してクウェートに住んだり、原子力技術者となってメルトダウン後のスリーマイル島で働いたり、夫婦でヨーロッパ中を旅して回ったりしたあとブダペストに居を構えたようです。アクティブなご両親に育てられたんですね。

そんなご両親のもと、ブダペストでサッカーとバスケをプレーしながら育ったロスコでしたが、12歳のときにネバダ州に移住します。ロスコのおじいさんが病気になったのを機に、お父さんの実家のあったネバダに移住したようです。おじいさんはその2年後に亡くなったようなので、最後に孝行できてよかったのかもしれませんね。

この辺のお話を原文で読みたい人はこちらをどうぞ。

👉Rosco Allen takes long road to Stanford


スタンフォード大学で活躍


Bishop Gormanというラスベガスにあるスポーツの強い高校でバスケ選手として成長したロスコ。4つ星の有望な選手と評価されてスタンフォード大学に進学します。日本のスポーツ推薦と異なり総合評価で学生を選ぶので、スタンフォードともなると学業も優秀でないとオファーはもらえません。ロスコは高校でしっかり勉強もしていたんでしょうね。

高校オールアメリカンのキャンプに招待され、そこでのプレーを見たケビン・デュラントから「高さがあるのにハンドリングが上手くて、自分と同じ『ポイントフォワード』だ」と言って称賛されるなど、才能を高く評価されていたみたい。スタンフォード以外にもノースカロライナ、オレゴン、アリゾナといった強豪大学から奨学金オファーを受けていたようです。

新潟でチームメートとなるチャールズ・ミッチェルも同い年の4つ星リクルートでした。島根でプレーしていたロバート・カーター、大阪に入る直前で怪我をしてしまったペリー・エリス、茨城でプレーしていたダニエル・オチェフも。NBAには届かず、何年かヨーロッパなどでプレーしていた選手が日本にやってくる流れができつつあるのかもしれません。

スタンフォードでは1年生から出場経験を得ると、2年目はコンディション不良で棒に振ったものの、3年目で復調して4年目に大活躍。全30試合でスターターを務め、1試合平均15.6得点を挙げてオールPAC-12カンファレンスのファーストチームに選ばれる活躍を見せます。


PAC-12は5大カンファレンスの1つに数えられていてD1の中でも特にレベルの高いカンファレンス。オレゴン、UCLA、アリゾナといった強豪大学がひしめく激戦区です。そこでファーストチームに選ばれる活躍を見せていたわけですね。

そんな大学時代のロスコのハイライト動画を見つけたので貼っておきますね。




プロ入りしてスペインでプレー


コンディション不良で棒に振った2年目をレッドシャツと認められたため、もう1年大学でプレーすることもできたロスコでしたが、NBAドラフトにエントリーすることを選択してスタンフォードを卒業します。


この決断は驚かれたようですね。大学でスターターを務めたのは1年だけなのにドラフトにエントリーするのかって。学位を取得したこと、次のステージに進みたくなったことが理由と本人は語っています。アクティブな家で生まれ育った影響か、新しいことにチャレンジするのを好む性格のようです。

ドラフト前にいくつかのチームのワークアウトに招かれるなど、それなりに注目はされていたようですが、指名は逃してしまいます。NBAでプレーするには身体能力が低いこと、シューターと言うにはスリーの成功率がそこまで高くなかったことを不安視されたみたい。もともと「2巡目下位で指名される可能性がなくもない」ぐらいの評価で、本人もそれを承知でドラフトにエントリーした(事前に評価と指名可能性をきける)わけで、NBA入りが難しいことは分かっていたのでしょう。別の国でプロ入りする前提だったんじゃないかな。

ドラフト後にゴールデンステート・ウォリアーズからオファーを受けてサマーリーグでプレーする機会は得ましたが、NBA入りを果たすことはできず、スペインのチームと契約してプロとしてのキャリアを歩み始めることに。デビュー戦のハイライト動画がありました。



スペインでの1年目はMonbus Obradoiro、2年目はIberostar Tenerifeというチームでプレー。コンスタントに出場はしていたものの、スターターとしてバリバリというわけにはいかなかったようです。スペインリーグもかなりレベルが高いそうですからね。


B2リーグで2年プレーしたあとB1へ


スペインで2年プレーしたあと、B2リーグ(当時)の島根スサノオマジックと契約して日本へやって来ました。スペインでは十分なプレータイムを得られなかった事情もあったかもしれませんが、いきなり極東の地へ飛んだのは、変化を好むチャレンジングな性格ゆえでしょうか。

島根では50試合に先発出場して1試合平均22得点、9.9リバウンド、5アシストと素晴らしい成績を残し、チームのB1昇格に貢献しています。

でもその島根を1年で退団。プレスリリースに「残留に向けて全力で慰留してまいりました」ってあったので、ロスコの方からチームを去る決断をしたみたい。

レイカーズと契約してサマーリーグに挑戦したあと(ニック・パーキンズとチームメートでした)、日本に戻ってB2の群馬でプレー。B2リーグ2年目は39試合に先発して平均24得点、8.1リバウンドを記録しています。群馬でのプレーぶりが分かる動画があったので貼っておきますね。



そして日本での3年目はB1の新潟でプレーすることに。天皇杯で渋谷と対戦して34得点をあげていることを考えると、B1でも問題なくプレーできるはず。3Qまで負けてて渋谷ファンがヒヤヒヤしたんですよね。ジャクソンがファールアウトさせられて。渋谷にとって決勝の次に厳しい試合はこの群馬戦だったかもって思うぐらい。

群馬に勝った渋谷の次の相手が新潟でした。当然、新潟は群馬対渋谷を徹底的に分析したはず。そこでロスコ・アレンに目を付けた…のかどうかは知りませんが、渋谷相手に得点を重ねる姿はポジティブに評価されたんじゃないかなと思います。ハミルトンとパーキンズが去り、ミッチェルとアレンが加わった新潟。どんな戦いぶりになるか楽しみです。


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新潟でチームメートとなるチャールズ・ミッチェルについても同じように紹介しています。

👉新潟アルビレックスBBのチャールズ・ミッチェル


サンロッカーズ渋谷を中心にBリーグに関する記事をいくつか書いています。

👉カテゴリー:サンロッカーズ・Bリーグ

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