投稿 2021年6月18日
2021年6月18日、B1リーグの琉球ゴールデンキングスが渡邉 飛勇との契約を発表しました。
1998年12月23日生まれの22歳で207cm、106kgの大型選手。ハワイ出身でアメリカ育ちですが日本国籍を持ちすでに日本代表にも選ばれて試合に出場しています。この渡邉飛勇選手のこれまでの歩みを調べてみました。
ハワイに生まれバレーボールとバスケをプレーして育つ
お父さんがアメリカ人でお母さんが日本人。お父さんの姓がHogland、お母さんの姓が渡邉みたいですね。名前は英語だとHughで日本語だと飛勇という表記に。
お祖父さんが元NFL選手で、お父さんも大学まで野球をプレー、弟さんはハワイ大学でバレーボールをプレーしていたようで、アスリート一家に生まれたようです。その一方で日本のアニメが好きという一面も。もののけ姫が特に好きなんだとか。
高校まではバレーボールとバスケを掛け持ちしていて、バレーボールでアメリカの年代別代表に選ばれたりもしていたみたい。もちろんバスケでもハワイで屈指の有望選手で、大学にはバスケの奨学金プレーヤーとして進学しています。
高校生の時のプレーぶりが分かる動画を見つけたので貼っておきます。18歳にしてこのパワフルなプレーぶりだったわけですね。
ポートランド大学に進学
進学先としてはポートランド大学を選択しました。その名の通りオレゴン州のポートランドにあるカトリック系の私立大学で、スポーツではWest Coast Conference(WCC)に所属しています。
WCCは八村塁やロバート・サクレの母校であるゴンザガ大学も所属しているカンファレンス。西海岸ではPac12がメジャーカンファレンスという扱いですが、バスケではWCCもそれなりに存在感を放っていて決してレベルが低いカンファレンスではありません。そもそもNCAAのD1ですしね。
そのポートランド大学では1年目をレッドシャツとして過ごしたあと、2年目は3試合の先発出場を含め30試合に出場と順調な成長を見せていました。八村塁のいたゴンザガとも対戦しています。八村が17得点を上げたゴンザガが89対66というスコアで快勝していますが、渡邉も23分出場して8得点6リバウンドと強豪相手に健闘しました。
3年目はスターターに定着してさらにプレータイムを伸ばす…ことが期待されていたのですが13試合の出場(先発は0)にとどまり、シーズン途中に転校を発表しています。
この記事を読むと、脳震盪の影響でプレータイムが制限されてしまった不運もあったようですね。他にも精神面の不調を抱えたこと、HCとそれほど良い関係を築いていなかったことも転校を決意した理由だったようです。ちなみにチームも低迷していて2年間で16勝48敗、カンファレンスでは1勝31敗という散々な成績でした。
UCデービスに転校
転校先として選んだのはカリフォルニア大学デービス校(UCデービス)。カリフォルニア北部の内陸、サクラメントやナパバレーの近くのデービスに位置する学校です。サンフランシスコからも車で行ける距離。
もともとUCバークレーの農学部として始まった大学で、広大な敷地内には牧場があって牛や馬が飼育されています。さらにキャンパス内に滑走路まで。少しだけUCデービスに留学していたことがあるのですが、めちゃくちゃ広くてキャンパス内の移動には自転車が必須でした。
スポーツチームの愛称はAggies(アギーズ)で、農耕馬のことです。農学部だった名残を感じさせる。スポーツではBIG WESTというカンファレンスに所属していて、こちらもNCAAのD1校です。
ポートランド大学の学位を取得済みだったためUCデービスでは院に所属した渡邉。Graduate Transferとしてすぐにプレーが可能でした。…が、残念ながら2試合の出場に終わっています。COVIDの影響で試合がキャンセルされまくった影響もあったんでしょうか。謎ですが、思うようにプレーすることはできなかったようです。
Bリーグ入りを決意
もう1年UCデービスでプレーする資格のあった渡邉ですが、冒頭に書いたようにB1リーグの琉球ゴールデンキングスと契約してプロ入りすることを決意しました。
すでに日本代表にも選ばれている期待の若きビッグマン。23歳と若く、バスケに専念したのが大学からであることを考えると伸び代たっぷりなはず。日本の未来のためにも成長していってほしいなと思います。思うように試合には出られていなかったかもしれないけど、ハイレベルなD1で揉まれてきた選手なわけで、どんな成績を残してくれるか楽しみですね。
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